大阪地方裁判所 平成8年(ワ)4787号 判決 1999年4月26日
原告
松本照和
被告
杉山敏夫
主文
一 被告は、原告に対し、金七七四万八四九五円及び内金七〇四万八四九五円に対する平成七年六月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを四分し、その三を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
四 この判決の第一項は仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、金三〇〇〇万円及びこれに対する平成七年六月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告運転の原動機付自転車と被告運転の普通貨物自動車が衝突した事故によって原告が受傷したとして、被告に対し、選択的に自動車損害賠償保障法(以下「自倍法」という。)三条又は民法七〇九条に基づいて損害賠償の内金を請求している事案である。
一 争いのない事実等(証拠により認定する場合には証拠を示す。)
1 事故(以下「本件事故」という。)の発生
(一) 日時 平成二年五月二六日午後七時二〇分ころ
(二) 場所 新潟県長岡市上野町一〇七五番地先交差点(以下「本件交差点」という。)
(三) 加害車両 普通貨物自動車(長岡四〇そ九三〇九)
右運転者 被告
右所有者 同右
(四) 被害車両 原動機付自転車(長岡市い一六四五)
右運転者 原告
(五) 事故態様 加害車両の左側と被害車両の右ハンドルが衝突し、原告が転倒した。
2 原告の入通院経過
原告は本件事故後、左記のとおりの入通院治療を受けた(甲二、三、一三ないし二八、二九の1ないし6、三〇の1ないし3、三一ないし三三、三四の1ないし4、三五ないし三九、四〇の1ないし9、四二の1ないし3、四三、四四の1、2、四五ないし四七、乙一の1ないし5、二の1、2、三の1、2、四の1ないし8、五、六の1ないし3、七の1ないし3、八、九の1ないし11、一〇の1、2、一一ないし一四)
記
(一) 長岡赤十字病院通院 平成二年五月二六日から同月二七日
同病院入院 同年五月二八日から七月二七日
(二) 吉田外科病院通院 平成二年七月三〇日から平成三年一〇月三一日
同病院入院 平成三年六月二八日から同年七月三日
(三) 有澤総合病院通院 平成三年六月一四日
(四) 渡辺病院通院 平成三年八月五日から同年一二月一五日
(五) 石川整形外科通院 平成三年一二月一六日から平成四年七月二〇日
(六) 協立病院通院 平成四年七月二一日から平成五年六月三〇日
(七) 宇治徳洲会病院通院 平成七年四月一三日以降
3 損害のてん補(甲一一の1ないし4、一二の2、弁論の全趣旨)
(一) 自賠責保険金 三一六万円
(二) 労災保険給付 九九五万三九八六円
(うち特別支給金二四六万五九四〇円)
(三) 被告からの支払 八五五万九八七〇円
(被告は、支払額の合計は九三一万六三二〇円であると主張するが、標記金額を超えて支払ったことを認めるに足りる証拠はない。)
二 争点
1 被告の過失、過失相殺
(原告の主張)
本件事故態様は、無灯火の被害車両が被害車両の約五〇メートルを前方をセンターラインをまたいで蛇行しながら、時速一〇キロメートルで走行中であることを発見した原告が、加害車両の左側を通り抜けようと後方から慎重に近づいたところ、加害車両が突然無指示で左折を開始したため、被害車両の右ハンドルが加害車両の左ボディに激突したというものである。
したがって、被告には、夜間であるにもかかわらず無灯火でしかもセンターラインをまたいで蛇行しながら走行していたことに加え、左折するに際しては、無指示でかつ左側及び後方の安全確認を怠り、漫然と左折を開始したことにより本件事故を惹起した過失があるというべきである。これに対して、原告にはいかなる過失もない。
(被告の主張)
被告は、本件交差点に差しかかった際、時速約五キロメートルで進行し、その交差点の手前約四メートルの地点で急に左折進行することにした。原告は、加害車両が低速で進行していたのでこれに追いつき、その左側を通過しようとしたが、交差点手前三〇メートル以内ではこのような原告の行為は禁止されており、原告にも過失があるというべきである。さらに、原告は、加害車両が時速約五キロメートル程度で走行していたのであるから、この脇を通り抜けるには、特に不審の念をもって十分に注意すべきであった。
したがって、本件事故に関しては原告にも過失があり、相当の範囲で過失相殺がなされるべきである。
2 原告の受傷の事実
(原告の主張)
原告は、本件事故により、第七・八・一二胸椎、第三、四腰椎、第一仙椎圧迫骨折等の傷害を負い、前記争いのない事実等(第二の一)記載のとおりの入通院治療を受けた。原告の傷病名が当初からありのままに医療機関よって認識されなかったのは、医療機関の医療設備の不備によるものであった。そして、その後の医療機関が得られた所見に基づきありのままに診断書を作成しなかったのは、医師同士の遠慮からくるものか、もしくは当初の医師が事故と因果関係があると判断していない病名を労災の傷病名として付加することへの躊躇によるものと考えざるを得ない。
(被告の主張)
原告の主張する傷病のうち、被告は第一二胸椎圧迫骨折については認めるがその余の受傷の事実については否認する。
(一) 胸腰椎の骨折について
原告の第七・八胸腰椎圧迫骨折の診断名は、事故後約一年一〇か月経過して初めて出てくるのであるが、その間、他の医療機関で認められなかったものが当初からあったとは考えられない。原告は、長岡赤十字病院を退院して自宅に帰ってからは、犬を連れて散歩に出たり、旅行にも出たりしているのであって、その他にも体に大きな荷重のかかることがないとはいえないのであって、事故後の何らかの事情で新たに骨折が生じたと考える方が合理的である。したがって、原告に第七・八胸椎の骨折があったとしても、それは本件事故とは因果関係はない。
また、当初の長岡赤十字病院での診断時に胸腰椎を一つずつ確かめたはずであるのに、腰椎骨折が発見されていないということは、事故時に存在しなかった可能性が高い。
(二) 麻痺について
原告について、もし、第四腰椎以下仙椎に至る間の脊髄(腰髄)が損傷すると、そこから先の神経麻痺が起こることになる。右の第四腰椎から下の仙椎に至る間の神経根は座骨神経を形成し、臀部から大腿後面を走り、膝窩の上部で脛骨神経と腓骨神経に分岐するのであるが、原告の申立てによると、足のしびれは左右とも、正面の膝下であって、背面の大腿後面には異常はない。また、座骨神経麻痺は膝を曲げることができなくなるが、原告についてそのような症状があったことは窺われない。さらに、診療録の記載を見ても下肢麻痺がなかったことは明らかである。
(三) 知覚障害について
原告の主張する知覚障害は当初極めて軽度であったばかりでなく、その後の検査所見に照らしてみると、他覚所見とも一致しないものであって、そもそもその存在自体が疑わしい。さらに、長岡赤十字病院で一旦消失し、吉田外科病院で否定されている原告の知覚障害が、協立病院で再び認められていることからすると、協立病院で認められた知覚障害が本件事故によるものとは到底考えられない。
3 原告の症状固定時期、後遺障害の内容及び程度
(原告の主張)
原告の本件事故による傷害は、平成七年六月一五日に症状固定となったが、原告には、第七・八・一二胸椎、第三・四腰椎、第一仙椎圧迫骨折に起因する体幹・四肢知覚障害、胸腰椎部運動障害等の後遺障害が残り、背部腰部の持続的な鈍痛、下肢脱力感しびれ感のほか、胸部圧迫感、四肢冷感、左耳鳴などの様々な自覚症状に悩まされ、日常生活すら満足に送れない状況におかれている。その結果就労もほとんど不可能な状態に追い込まれた。原告の後遺障害は、自賠法施行令二条別表「後遺障害別等級表」(以下「後遺障害等級」という。)五級二号(神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、特に軽易な労務以外の労務に服することができないもの)及び六級五号(脊柱に著しい運動障害を残すもの)に該当するものと評価せざるを得ず、したがって、原告には後遺障害等級併合三級の後遺障害が存在している。
(被告の主張)
本件について仮に原告に後遺障害があるとしても、本件のような骨折は概ね一年くらいで治癒となり、したがって症状固定の時期もそのころとなるはずである。
本件では事故から一年後にCT及びMRIで脊柱管などの異常のないことが確認されているのであるから、下肢麻痺や下肢の知覚障害は考えられない。したがって、原告主張の後遺障害のうち胸部圧迫感、四肢冷感、左耳鳴は本件事故とは関係はない。また、背部腰部の持続的な鈍痛、下肢脱力感しびれ感というのは積極的に動かなければ筋肉の廃用性萎縮によって益々悪くなるだけである。それを防ぐためには患者本人の意思によるリハビリテーションが重要であるが、原告にはそのような気力はなさそうである。そのような状態であればこれを後遺症とすることはできない。
また、原告は「短時間の軽作業以外は不可」といっても、これは原告の私病である不整脈を含めての話であるから、かりに本件事故について後遺障害があるとしても、それによって短時間の軽作業以外はできないということにはならない。労働とか作業については心臓の負担の方がはるかに大きいのである。
4 素因減額
(被告の主張)
原告の治療に対する態度は、医師が非観血的治療を説明したところ急に興奮状態となって全く治療を希望しないという態度を示したり、本件事故と関係のないものについて労災用の診断書を書くように求めて医師とトラブルを起こしたり、診断書の記載をめぐってトラブルを起こしたりしている。原告は、労災補償の請求や交通事故の損害賠償のために医師は努力すべきであるという考えを持っているようであり、本件についても原告の被害が極めて大きいとの主張を、新しい傷病名を付け加えてまで請求してきている。このような状況からすると原告には、賠償金を未だ取得できないことによる所謂賠償神経症的な面があると考えられ、このような原告の心因的な要因が原告の損害を拡大させていると考えられる。
したがって、この点について十分配慮されるべきである。
5 原告の損害
(原告の主張)
(一) 治療費 一六万〇四六九円
(内訳)
自己負担分 三万一五八〇円
健康保険組合からの請求分 一二万八八八九円
(二) 通院交通費 二万八二四〇円
ただし、平成二年七月二八日から平成七年六月一五日までの分
(三) 文書料 四万七八七〇円
(四) 休業損害 二四三七万九八六二円
原告は、本件事故がなければ一か月あたり平均三二万八五三〇円の賃金、一二万九八〇〇円の現場出張日当、七万一六六七円の賞与の合計五二万九九九七円を得ることができたところ、本件事故により、本件事故日である平成二年五月二六日から平成六年三月二五日までの四六か月間にわたり右収入を得ることができなくなった。したがって原告の休業損害は、右五二万九九九七円に四六か月を乗じた二四三七万九八六二円となる。
(五) 後遺障害逸失利益 四六二八万七八一八円
原告は、本件事故により後遺障害等級併合三級の後遺傷害が残り、その労働能力を一〇〇パーセント喪失した。原告は症状固定時(平成七年六月一五日)から九年間は稼働可能であり、その間一か月当たり五二万九九九七円の収入を得ることが可能であったから、原告の後遺障害逸失利益は以下の計算式のとおり四六二八万七八一八円となる。
(六) 入通院慰謝料 二〇四万円
(七) 後遺障害慰謝料 一六〇〇万円
(八) 弁護士費用 二〇〇万円
よって、原告は被告に対し、右損害金合計九〇九四万四二五九円から、前記争いのない事実等記載のてん補金二一六七万三八六五円を控除した六九二七万〇四〇三円の内金三〇〇〇万円及びこれに対する原告の後遺障害が確定した日である平成七年六月一五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金(ただし、弁護士費用に対する遅延損害金は請求しない。)を求める。
第三当裁判所の判断
一 争点1(被告の過失、過失相殺)について
1 前記争いのない事実等(第二の一)に証拠(甲一、五〇の1、2、五一、五二、六六、検甲一ないし一三、原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下のとおりの事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。
(一) 本件事故現場付近は、ほぼ東西に通じる、路肩部分を除く幅員約六メートル、片側一車線の、白色の破線によって中央線の引かれている道路(以下「本件道路」という。)とほぼ南北に通じる、幅員約五メートルの、アスファルト舗装されていない道路(以下「南北道路」という。)とによって形成される、信号機による交通整理の行われていない交差点である。本件交差点の北側の南北道路は、緩やかな下り坂になっており、交差点から数メートルの区間は舗装されている。南北道路はいわゆる農道であって、本件道路を走行する車両からは、稲の陰になっているために、夜間本件道路を走行する者からはその存在は判りにくい状態であった。
本件事故現場付近には、照明等の設備はなく、夜間は前照灯を点けずに安全に走行することは困難であった。
(二) 原告は、長岡の現場に赴任して二か月ほどであったが、本件道路を何度か走行したことがあり、本件交差点を通過したことも何度かあり、本件交差点の存在は知っていた(本件交差点の存在を知らなかったと原告は供述するが、本件交差点の前後には鉄網の蓋が置かれた排水溝が設けられており、本件交差点を通過する際には交差点の存在に気づくはずであって、原告の供述内容は不自然であり、信用することができない。)。原告は、事故当時は長岡市福道町にある工事現場から同市江陽にある日吉建設株式会社(原告の勤務先)の寮に戻る途中であった。
原告は、本件事故当時、被害車両を運転して時速約三〇キロメートルで本件道路を東進中、前方約二〇〇メートルの農道との交差点から本件道路に進入した加害車両を発見し、しばらく同車両の後ろを追走していたが、加害車両がセンターライン付近を左右にボディを振りながら時速約一〇キロから一五キロメートルで無灯火のまま走行しているのを認めて、危険を感じ、自車を時速約二〇キロメートルまで減速させたものの、本件交差点の手前で加害車両に五〇メートルほどの距離まで追いついたので、加害車両を追い抜こうと考えて、被害車両を加速させ、加害車両と並ぶくらいまで進行させたところ、加害車両が方向指示器を出さずに突然左折を開始したため、原告は避けきることができず、本件交差点の北詰のアスファルト舗装がなされている区間において、被害車両の右ハンドル部分が加害車両の左ボディ部分に衝突した。
(三) 被告は、加害車両を運転して本件道路を時速一〇から一五キロメートルで走行していたが、本件交差点手前四メートル付近の地点で急に本件交差点を左折することにして、左側方及び後方の安全を確認せず、方向指示器も出さないまま左折を開始し、折から自車左側方を速度を上げて進行中であった被害車両の右ハンドル部分に自車左側面を衝突させ、原告を転倒させた。
2 以上認定される事実からすれば、本件事故は、被告が夜間無灯火で加害車両を走行させ、本件交差点を左折するに際して、方向指示器を出さず、左側によることもなく、しかも自車左後方及び左側方の安全を確認することもなく、左折を開始した過失によって惹き起こされたものと認められる。一方、原告としても、本件道路を毎日走行して本件交差点の存在も知っていたのであるし、前方で加害車両が不審な動きをしていることも確認していたのであるから、本件交差点付近で加害車両を追抜くことは差し控えることが期待されたという余地もあるが、夜間になると本件交差点を視認することは困難であることに加え、本件においては、右認定のとおり被告の過失は著しいというべきであって、原告に過失相殺として考慮しなければ公平を失するほどの過失があったということはできない。したがって、本件において過失相殺を行うことは相当でない。
二 争点2(原告の受傷の事実)、争点3(原告の症状固定時期、後遺障害の内容及び程度)について
1 前記争いのない事実等(第二の一)に証拠(甲一三ないし二八、二九の1ないし6、三〇の1ないし3、三一ないし三三、三四の1ないし4、三五ないし三九、四〇の1ないし9、四二の1ないし3、四三、四四の1、2、四五ないし四七、検甲一四の1ないし15、一五の1ないし13、乙一の1ないし5、二の1、2、三の1、2、四の1ないし8、五、六の1ないし3、七の1ないし3、八、九の1ないし11、一〇の1、2、一一ないし一四、検乙一の1の1ないし4、同2の1ないし4、同3ないし6の各1、2、二の1の1ないし5、同2の1ないし6、同3の1、2、同4の1ないし4、同5の1、2、同6の1、2、同7、同8の1ないし3、同9、同10の1ないし4、同11の1、2、三の1ないし3、四の1の1ないし6、同2、同3の1ないし8、同4の1ないし5、同5の1ないし3、調査嘱託の結果、原告本人、証人高橋甲、同宮島茂夫)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。
(一) 原告は、本件事故当日、長岡赤十字病院の救急外来を受診したが、同病院においては、原告は主に腰背部痛を訴え、第四・五腰椎の棘突起の圧痛、右下肢の知覚鈍麻、長母趾伸筋力は右がやや弱い等の所見が認められた。しかし、その日は入院することなく、自宅に帰った。ただ、腰背部の運動制限の外、痛みと発熱がひどかったので、同月二八日に再度同病院を受診し、レントゲン撮影をしたところ、第一二胸椎の圧迫骨折と第五腰椎の分離症が確認され、同病院に入院することになり、七月二七日まで入院治療を受けた。右入院期間中、原告には継続して右下肢知覚鈍麻、右下肢長母趾伸筋力低下の所見が見られたが、他に神経学的異常は認められず、主治医の高橋医師から見ると、どの神経が損傷を受けているか判らない奇妙な所見であった。
なお、腰椎分離症は外傷で生じることはあまり考えられないものであり、症例として腰椎椎間板ヘルニアを合併することが多いが、原告には本件事故以前から腰椎椎間板ヘルニアの既往症があった。さらに、原告の第五腰椎は既に硬くなっている状態であったために、高橋医師は、腰椎分離症は本件事故によって生じたものとはいえないと判断した。そして平成二年七月五日に高橋医師が診断書を作成した際の傷病名は、第一二胸椎圧迫骨折のみとされた。
(二) その後、原告は、平成二年七月三〇日から地元の大阪府枚方市にある吉田外科病院に通院するようになった。同病院における診断名は第一二胸椎圧迫骨折、左右下肢不全麻痺であったが、同病院における治療は終始ホットパック等のいわゆる保存的療法が行われたのみであった(入院はミエロ検査目的にすぎない)。もっとも、同病院通院期間中、原告は病院に自己の症状について記載した文書を提出し、その中で左右の足のしびれ、右足の温痛覚の異常を訴えるとともに、更に新たな症状が生じてきている旨を述べているが、同病院の吉田毅医師は平成三年一〇月三一日付の診断書において症状は固定化を呈している旨の診断を行った。
同病院通院中の平成三年六月一四日、原告は有澤総合病院においてMRI検査を受けたが、その際の所見は、第四・五腰椎間の椎間板が変性し、椎間板腔が狭くなっているが、椎間板ヘルニアは見られないこと、第二・三腰椎間にも同様の所見がみられるというものであった。また、同年七月二九日は、腰椎のCT検査を行ったが、その際の所見は、特に明らかな異常を示す所見はないというものであった。さらに、同年八月二六日には、京大附属病院の松下医師の診察を受けたが、知覚障害が、右半身全体と左はみぞおち以下と奇妙な型を示すこと、反射は全て正常であること等他覚所見に一貫性がないことから、同医師は判断に苦しむとの見解を明らかにしている。
(三) その後、原告は自己の希望により転医し、平成三年八月五日から同年一二月一〇日までの間、渡辺病院に通院した。なお、同病院にはMRIはなかったため、同病院は財団法人京都工場保健会診療所に検査を依頼し、原告は平成三年六月一日に同診療所においてMRI検査を受けたのであるが、渡辺病院における診断書記載の傷病名は、当初「第一二胸椎圧迫骨折、変形後遺症、右股関節不全麻痺、腰椎変形症椎間板ヘルニア(L3―4)」というものから「腰椎変形症、椎間板ヘルニア(L3―4)、骨粗しょう症、肝機能障害、急性胃炎、腎盂腎炎、狭心症、不整脈」となり、最終的には「第一二胸椎圧迫骨折、左右下肢不全麻痺、腰椎変形」というものになった。さらにその後、原告は自己の希望により転医し、平成三年一二月一六日から平成四年七月二〇日までの間、石川整形外科病院に通院したが、その間の平成四年一月九日、原告は、財団法人京都工場保健会診療所において撮影されたMRIフィルムを持参して長岡赤十字病院に赴き、高橋医師と面会し、高橋医師より第一二胸椎の外にも第四・五腰椎(後に第三・四腰椎と訂正)にも圧迫骨折があり、さらに第一仙骨にも骨折があるとの診断書の発行を受けた。ただし、高橋医師は第一仙椎の骨折については、厳密に骨折かどうか判断した上で、診断書を記載したわけではなく、MRI画像上、第一仙椎に外傷性の微妙な変化がうかがわれることを見てかかる傷病名を記載したものである。
なお、石川整形外科病院における診断書記載の傷病名は、最終的に「第一二腰椎、第四・第五腰椎圧迫骨折、第一仙椎骨折、両下肢不全麻痺」となった。
(四) 原告は、さらに自己の希望により転医し、平成四年七月二一日から協立病院に通院した。同病院においては整形外科を受診するとともに内科を受診していた、内科においては心悸亢進を訴え、右症状は本件事故と因果関係があるものと主張していたが、同病院の横田医師は、否定的な見解であったため、平成五年九月四日に、労災の診断書を書くかどうかで原告と横田医師との間でトラブルとなり、原告は同医師に対し、「医師が患者の言うとおりにしないのは義務の怠慢である」とか、「患者のために精一杯努力し、労災として認めるべく努力すべき」等と一方的に申し向けるなどしたため、横田医師から病院への立入りを禁止され、診察券も取り上げられるという事態を引き起こした。そして、同月八日に再び原告が来院した際、同病院の整形外科の宮島医師から、内科的な労災認定は無理であるが、今後本人の保険を使用して同病院での加療継続を希望するのであれば、拒否できるものではない旨の説明がなされたが、原告は納得せず、「警察を呼ぶ」「裁判に持ち込む」などと連呼するに至った。なお、心臓運動機能に関与する神経は、頸神経節から下行しているのであるが、原告にはその後の検査においても頸椎部の異常所見は認められていない。
(五) 原告は、平成四年九月一六日から協立病院整形外科において宮島医師の診察を受けるようになったが、その間である同年九月二九日に有澤総合病院でMRI検査を受け、「第一二腰椎、第四腰椎椎体圧迫骨折、第一一・一二胸椎間、第二・三腰椎間、第四・五腰椎間の椎間板の変性を認め、軽度の椎間板突出による脊椎管狭窄があるようである」との所見を得た。その後、平成五年三月一〇日に、宮島医師は「第一二胸椎から第三腰椎にかけての棘突起に叩打による圧痛があるが、反射は両側とも左右差なく正常であり、クローヌス及び知覚異常もない」との所見をカルテに記載した。
ところが、原告は、同年四月二一日に犬に咬まれ、その後胸部の不快感を強く訴えるようになり、ホルター心電図検査を受検したところ、心室性期外収縮が時々あるとの検査結果であった。なお、原告が昭和六二年一〇月ころまでの間通院した病院においては、心疾患異常は確認されなかった。
(六) 平成五年七月一六日を最後に、原告は協立病院への通院をしていなかったのであるが、平成七年四月一三日に、突然宮島医師の転勤先である宇治徳洲会病院に赴き、宮島医師の診察を受けた。そして、同年六月一五日、宮島医師は、原告の症状が同日固定したものとして、CT画像所見などを基にして後遺障害診断書を作成し、傷病名として「第七・八・一二胸椎圧迫骨折、体幹・四肢知覚障害」、自覚症状として体幹・四肢部の知覚鈍麻など、胸腰椎部の運動障害として「前屈三〇度、後屈五度、右屈一五度、左屈一五度、右回旋二〇度、左回旋二〇度」、荷重機能障害として「常時コルセット着用の必要性有り」との記載をした。第七・八胸椎は、肋骨に囲まれている部位であり、さほど動きやすい部位ではないので、通常加齢による圧迫骨折は生じにくい部位である。なお、宮島医師が敢えて前医から引き続いだ傷病名である「両下肢不全麻痺」を落として「体幹四肢知覚障害」を記載した訳は、原告の場合、両下肢の知覚検査では異常を訴えるものの、神経学的な他覚所見では、脊柱管の圧迫所見等の異常が認められなかったためである。
その後、宮島医師は、平成八年四月四日付の意見書において、原告からの指摘もあったため、右傷病名に加えて「第四・五腰椎(後に第三・四腰椎と訂正)及び第一仙椎圧迫骨折后状態」との記載をし、行動及び運動に関する所見として「脊柱前屈時、第七・八胸椎レベルに疼痛を生じ、叩打痛も持続している。徒手筋力検査では両下肢の諸関節に運動能の低下が認められる。」、労務・就業等の所見として「短時間の軽作業以外は不可と考える。」との記載をした。ただし、第一仙椎の骨折の点については、宮島医師自身、後の証言において、画像所見上はっきり骨折線があるとは断言しかねること、仙椎部の叩打痛は、仙腸関節の痛みが放散して生じることもあり、原告の仙椎部の叩打痛が仙椎骨折によって生じたものとは言い切れないと述べている。また、労務・就業時の所見については、原告の訴えていた不整脈等の内科的症状を含んだ上での所見として記載されたものである。
(七) 脊椎は、頸椎の椎体が七つ、胸椎の椎体が一二個、腰椎椎体が五個、その下にさらに仙椎と、領域が広範囲にわたっているために、その複数部分に損傷が生じたような場合、脊椎の全範囲にわたって詳細な検査をすることは困難であり、患者の愁訴や自覚症状を基に、ある程度対象を絞った上で検査せざるを得ず、検査の精度、患者の訴えによっては、骨折が見逃される可能性もある。
(八) 脊椎の骨折により神経の損傷が起こると、当該神経域が支配するレベル以下の神経に障害が起こり、知覚障害や疼痛が発生することがあるが、精神的要素によって障害の程度が拡大することがある。また疼痛については、脊椎そのものからくる痛みの外に長期間のコルセット着用による筋力低下による痛みが疼痛を拡大させることがある。
2 以上のとおり認められる。
(一) 右認定の事実を総合すると、原告は、本件事故により、第七・八・一二胸椎圧迫骨折、第三・四腰椎圧迫骨折の傷害を負い、右症状は平成七年六月一五日に症状固定となったが、右受傷と精神的要素が相俟って、体幹・四肢知覚障害が生じ、後遺障害等級一一級七号(脊柱に奇形を残すもの)及び一二級一二号(局部に頑固な神経症状を残すもの)に該当する、併合一〇級の後遺障害が残ったものと認められる。
(二) 原告の主張する第一仙椎圧迫骨折については、それを裏付けるはっきりした他覚所見がなく、高橋医師、宮島医師ともに証言において、その存在は明確ではないという趣旨の供述をしており、右受傷の事実を認定することはできない。また、原告は本件事故により不整脈等の心疾患を発症したと主張するが、前記認定のとおり、原告に心臓運動機能に関係する軟部組織の異常所見は認められず、また、原告が不整脈や心悸亢進を強く訴えるようになったのが犬にかまれた事故の後であること、原告を診察した協立病院の横田医師が原告の心疾患と本件事故との因果関係については否定的な見解を明らかにしていること等を併せ考慮すると、本件事故によって原告に心疾患が生じた事実は認めることができないといわざるを得ない。
他方被告は、第一二胸椎骨折以外の傷病については、かりに存在したとしても本件事故によって生じたものとは考えられないし、原告の症状は遅くとも事故後一年程度で症状固定していた旨の主張をするが、右認定のとおり、検査の精度によっては骨折の存在が見逃されることがあることに加え、第三・四腰椎の圧迫骨折については、原告が事故後初めて撮影したMRI(財団法人京都工場保健会診療所のもの)を見た高橋医師がその存在を確認していること、第七・八胸椎についても、宮島医師によるCT画像所見によってその存在が認められたものであるが、原告に本件事故後右検査時までに第七・八胸椎の骨傷を生じるような外力が加えられるような事態があったとは考えがたいことに照らすと、本件事故によって右各骨折が生じたと推認することができるし、そうだとすると、宮島医師によって第七・八胸椎の圧迫骨折が発見され、同医師による症状固定の診断がなされた平成七年六月一五日まで症状は固定していなかったものと認めるのが相当である。以上より被告の右主張を採用することはできない。
(三) ところで、原告は、後遺障害の程度に関し、体幹骨の変形障害については後遺障害等級六級五号(脊柱に著しい運動障害を残すもの)に該当し、神経障害については同等級五級二号(神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、特に軽易な労務以外の労務に服することができないもの)に該当すると主張する。しかしながら、まず、後遺障害としての脊柱の運動障害といえるためには、単に疼痛等によって運動障害が生じているだけではなく、脊柱骨の融合や固定等の脊柱強直の所見があるか背部軟部組織の器質的病変の所見が認められることが必要であると解されるところ、原告にこのような病変等が残存した事実は本件全証拠によっても認めることはできない。また、神経症状の程度について、宮島医師が「短時間の軽作業以外は不可と考える」旨の所見を述べたのは、前記認定のとおり、本件事故と因果関係のない不整脈を考慮に入れてのものであり、本件事故による神経症状の程度を直ちに現すものとはいえないことに加え、原告の神経症状が必ずしも一定したものではなく、他覚所見と一致しない部分もあること、原告の症状は麻痺ではなく知覚障害の程度に留まるものであること等の事情の下では、原告の後遺障害の程度は後遺障害等級一二級一二号に該当するものであると認めるのが相当であり、原告の右主張を採用することはできない。
三 争点4(素因減額)について
前記(第三の二の1)認定のとおり、原告に残存している知覚障害の症状は、他覚所見と整合しない部分や症状が一定しないものもあること、原告は自己に現われた症状を事故に起因するものと認めない医師に対して強く抗議し、医師とトラブルを引き起こすなど、被害者意識が極端に強い面が窺われること、知覚障害は精神的要素によって症状が拡大することがありうるものであることからすると、原告の心因的要素が症状を拡大させた面があるものと認めるのが相当であり、原告に生じた損害をすべて被告に負担させるのは公平を失するというべきである。そこで、民法七二二条を類椎適用し、損害拡大に寄与した原告の右事情を斟酌し、原告に生じた損害につき二割の減額をすることとするのが相当である。
四 争点5(原告の損害)について(円未満切捨て)
1 治療費 一六万〇四六九円
証拠(甲四、五、一〇、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告は少なくとも以下のとおりの治療費を要したことは認められる。
(一) 自己負担分 三万一五八〇円
(二) 健康保険からの請求分 一二万八八八九円
2 通院交通費 二万八二四〇円
証拠(甲四、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告は標記の通院交通費を要したことが認められる。
3 文書料(甲四、弁論の全趣旨) 四万七八七〇円
4 休業損害 一八六一万六四九三円
(一) 基礎収入額
前記争いのない事実等(第二の一)に証拠(甲六、七、八の1ないし3、九の1、2、一三ないし一七、六六、六七、原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すると、原告は、平成二年三月二八日に一級建築施工管理技師の技術検定に合格した建築施工管理技師の資格を有するものであるが、本件事故当時日吉建設株式会社に勤務し、同年三月二八日から新潟県長岡市福道町仮一〇七七番地所在の長岡市農協西カントリーエレベーターサイロ増設工事の管理技師として赴任していたものであること、本件事故当時は、本給の外に現場出張日当や賞与が勤務先から支給されていたが、本件事故日以降はいずれも支給されなかったことが認められる。
証拠(甲一一の1、2、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、本件事故後平成二年一一月一三日に労災保険から同年六月分から九月の一二二日分の労災給付(休業補償給付と休業特別支給金を併せた額)として合計一〇六万八八四二円が支給されたこと、同様に同年一二月四日に一〇月の三一日分として二七万一五九一円が支給されたこと、同年一二月三一日に一一月の三〇日分として二六万二八三〇円が支給されたことが認められる。ところで、休業補償給付及び休業特別支給金の給付基礎日額は労災事故が発生した日以前の三か月間に当該労働者に対し支払われた賃金の総額をその期間の総日数で除した金額とされていること、休業補償給付は一日当たり給付基礎日額の六割が支給される扱いとされていること、休業特別支給金は一日当たり給付基礎日額の二割が支給される扱いとされていることは当裁判所に顕著な事実であるところ、右支給された金額に徴するならば原告の休業補償給付及び休業特別支給金の給付基礎日額は一万〇九五一円と計算されていたと推認される。
また、証拠(甲九の1、2、原告本人)によれば、原告は給付基礎日額の算定基礎となる賃金、手当の外に夏期賞与として四〇万円、冬期賞与として四六万円の合計八六万円の賞与(一日当たり二三五六円)の支払を受けていたことが認められ、右事実を合わせ考慮するならば、原告の基礎収入としては、一万三三〇七円をもって相当と認める。
原告は、この点一日あたり四四〇〇円の現場出張日当分をさらに基礎収入に上乗せすべきであると主張するが、労災保険給付の給付基礎日額の算定に当たってはかかる手当分も基礎とされる扱いになっていることに加え、現場出張手当は、現場に出張した場合に支給される性質のものである以上、原告が本件事故がない場合にどの程度の現場出張をすることになったのかは本件全証拠によっても明らかではないといわざるを得ない。したがって、原告の右主張は採用することができない。
(二) 前記(第三の二)認定のとおり、原告は、本件事故の当日より入通院治療を受け続け、平成七年六月一五日に症状固定となったものであるところ、同認定の症状の経過に照らすと、本件事故日の翌日から原告主張にかかる平成六年三月二五日までの一三九九日間は休業を要する状態であったものと認められ、右認定の基礎収入額一万三三〇七円に休業日数一三九九日間を乗じると、原告の休業損害は一八六一万六四九三円と認められる。
5 後遺障害逸失利益 七九二万七四四二円
前記認定のとおり、原告の症状は平成七年六月一五日に症状固定となったものであるが(原告は症状固定時六三歳)、原告には本件事故により後遺障害等級併合一〇級に該当する後遺障害が残ったものである。右第三の四の4認定のとおり原告の基礎収入は一日当たり一万三三〇七円(年額四八五万七〇五五円)とするのが相当であり、本件事故がなければ原告は症状固定後九年間にわたって同程度の収入を得ることができたものと認めるのが相当であるところ、一般に後遺障害等級一〇級の労働能力喪失率が二七パーセントと扱われていることは当裁判所に顕著な事実であるから、右基礎収入に労働能力喪失率二七パーセント及び右九年間及び事故時から症状固定時までの五年間の年五分の割合による中間利息を新ホフマン方式によって控除し、原告の後遺障害逸失利益の事故時における現価を算出すると、以下の計算式のとおり、七九二万七四四二円となる。
(計算式)
4,857,055×0.27×(10.409-4.364)=7,927,442
6 入通院慰謝料 二〇四万円
原告の受傷の内容、程度、入通院の期間、実通院日数、治療の内容、ことに本件においては自身の受けた受傷内容についての正確な診断がなされるまでに多くの時間を要さざるを得なかったこと等本件弁論に現われた一切の事情を考慮して、右金額をもって相当と認める(原告主張のとおり。)。
7 後遺障害慰謝料 四〇〇万円
原告の後遺障害の内容、程度等本件弁論に現われた一切の事情を考慮して、右金額をもって相当と認める。
8 原告の損害のまとめ
(一) 小括
以上認定のとおり、原告の本件事故と相当因果関係を有する損害(弁護士費用を除く)の額は、三二八二万〇五一四円であるところ、前記第三の三認定の次第で、素因減額として二割を控除し、さらに前記争いのない事実等(第二の一)記載の既払金(ただし、労災保険給付のうち特別支給金については労働保険事業に基づく給付で、性質上控除できないと解されるので控除しないこととし、休業補償給付については対応する費目から控除する。)合計一九二〇万七九一六円を控除すると、原告の損害のうち被告らに負担させるべき額(ただし弁護士費用を除く)は七〇四万八四九五円となる。
(二) 弁護士費用 七〇万円
原告がその権利実現のために、訴訟を提起、遂行するに際し、弁護士を委任したことは当裁判所に顕著な事実であるところ、事案の内容、立証活動の難易、認容額の程度等本件弁論に現われた一切の事情を考慮して、標記金額をもって相当と認める。
(三) まとめ
右(一)に(二)を加えると七七四万八四九五円となる。
9 結論
以上のとおりであるから、原告の請求は、被告に対し、金七七四万八四九五円及び内弁護士費用を除く金七〇四万八四九五円に対する平成七年六月一五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。
よって主文のとおり判決する。
(裁判官 三浦潤 山口浩司 大須賀寛之)